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TOSHI-LOW(BRAHMAN/OQU) ×後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)

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──今はそれぞれ活動しているお二人ですけど、改めて、3・11をどう過ごしていたのか、そこから何を考えて行動を起こすに至ったのか、教えてもらえますか。

TOSHI-LOW「地震の時って何やってたの?」

後藤「リハしてました。ツアーの。まぁそのツアーもまるごとなくなっちゃったんですけど、あと2日ぐらいやればリハも終わりで、ストリングスとかも全員入れて合わせましょうって集まってた日で」

TOSHI-LOW「俺らもリハやってた。でもそん時はね、“これでリハやめれる"ぐらいの感じだった。みんなで“やめちまおう、やる気しなくなった"つって言い訳して(笑)。地下だったから余計揺れが大きく感じたのかなぁとも思ってて。でも外出てみたらみんなキャーキャー言ってるし、家帰ったらいろんなモノとか倒れてて。ショックだったのは、俺が作ってたニンニク醤油が全部倒れてたこと」

後藤「ははははは!」

TOSHI-LOW「あと少しでできたのに。そして臭ぇの! 何がショックってすげぇ臭ぇのよ(笑)。でも最初の段階でヤバいってわかった? すぐに」

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後藤「僕は……揺れ方はちょっとマズいなと思ったんですよ。多分、これ東京じゃないどっかで地震が起きてると思ったんですよね。直下型ならもっと酷いはずだってイメージもあったし。もしかしたら地元かもしれない、東海地震かもしれん、って思いがあって。で、自宅に帰ろうと思ったけど、高速は動いてないし電車もダメで、とりあえずは待機して。で、ニュースつけたらお台場が燃えてるし、さらに津波の映像が入ってきて。そこで初めて“わ、わ、わ!"ってなって。でもその段階では俺、みんな高いところに逃げてるだろうって考えてた。東北の人たちって津波対策でデカい堤防作ってるくらいだから、もう慣れっこなんだろうって」

TOSHI-LOW「俺も同じこと考えた。名取市(宮城県)の映像見てる時に、まぁ(地震発生から津波まで)時間もあったし、その間に全員避難してると勝手に思い込んでた。無人の街が流されてるんだと思ったけど、でもカメラがズームしていったら幹線道路が見えて、車が逃げまくってて。そこで“えぇー?"って、やっと状況を理解して。東京はだいたいそんな感じだよね。最初はそこまで実感なかった」

後藤「あ、でも僕は神奈川県だから。停電で、マンションも真っ暗で、体育館に避難したんですよ。夜中の3時くらいまで。まぁ電気が復活して帰れたんですけど、ちょっと避難所の疑似体験でしたね。あれは……ちょっといただけでもしんどい。神奈川まで遊びに来て帰れなくなった人とかもいて、地元の人だけじゃないっていう状況もまた異様で」

TOSHI-LOW「自治体の人たちは来てたの? 物資とか」

後藤「自治体はもう来てました。市長とかも。それで毛布がバーッと届いて、あとはあんまり美味しくない食料が。乾パンだと思ったら乾パンじゃない、マリービスケットを硬くして味なくしたようなやつが」

TOSHI-LOW「それ絶対美味しくないね(笑)」

後藤「明らかに混ぜただけ、っていうチャーハンの冷えたやつとか。冷たい床の上でそれ食って、隣のお爺ちゃんと話とかしてて。“今日はちょっと遊びに来ただけなんだけど、全部止まっちゃって家に帰れない"とか言うんですよね。まぁ夜中に続々と知り合いが迎えに来たりして、みんな帰っていくんですけど、これ、津波で帰るところがなくなった人はどうなるんだって。もう考えただけで(ダメージ)もらっちゃって。翌日とか頭痛くなって、リハ全然行けなくて。起き上がれなくなっちゃいましたね」

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