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TOSHI-LOW(BRAHMAN/OQU) ×後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)

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TOSHI-LOW「そうなんだ。俺は地元があるじゃない? 11日の段階では電話が繋がらなかったし、でもネットとかでなんとなく情報は入ってくるじゃん。大洗(茨城県)が大変なことになってるって聞いて、ウチの婆ちゃん家もそこだから、あぁ婆ちゃんさらわれたべ、って考えたし。まぁ2日ぐらいしたら電話も繋がるようになって、実家から“婆ちゃん大丈夫、家にいるよ"ってわかったんだけど。で、俺もすぐ行きたかったけど、まだ行けない。(国道)6号っていう茨城につながってる道もダメだし、常磐道もダメっていうことで、2日か3日ぐらいモジモジモジモジしてた。それで東京で買い占めしてる人達とか見てた」

後藤「俺も。スーパーに行ったらもう人が並んでて、水はないし、普段売り切れてない売り場が何もなくて」

TOSHI-LOW「ねぇ。それも団塊の世代より上のジジイが酷くて。ババァが酷いのはいつの時代でも一緒じゃん(笑)。オイルショックの時に買い占めするとか。それは理解できたんだけど、俺、あんなにジジイたちが役に立たないことにびっくりした。孫とか連れてバーッとカゴにカップラーメンとかワンサカ入れてるわけ。よく見たら『激辛』なの。絶対あなた食えないから、って思うんだけど(笑)、もう何でもいいからって感じで焦っちゃって。一家族一個って言われてる商品でも、孫とかに無理やり持たせて、レジで“すいません、ご家族じゃないんですか?"って聞かれても“いや、家族じゃありません!"みたいな。孫は固まっちゃってるし。もうどうすんの? それ、孫は一生覚えてるよ? っていう。みんな戦争を体験したり、直接体験してなくてもギリギリ知ってる世代じゃない。そういう人たちがなんであんな焦ってるのかなって思ったけど、やっぱ知ってるからなのかね?飢えの怖さを」

後藤「あぁ、はい」

TOSHI-LOW「あともう一個聞いたのは、そういうお爺ちゃんたちって、戦後に子供だったじゃない? あの時って米兵から“ギブ・ミー・チョコレート"で優しくしてもらえたって言うけど、でもお菓子をもらった子供、後ろからガツーンって殴られて、結局はチョコレートを取られたっていう。それをやってたのが実は大人なんだって。大人の日本人」

後藤「へぇー」

TOSHI-LOW「そういう体験が少なからずあるんじゃないかなって思った。本当に怖いのは自分たちの同胞であるっていう感覚を知ってるから、あんなにパニックになるのかなって。だって一番どっしり構えてる世代だと思ったの。“まぁまぁ、みなさんやめなさい"って、水戸黄門的に言ってくれるのがジィちゃんたちだと思ってて。そしたら一番慌てふためいてて。もしかしてあの人達は、かつての大人に傷つけられた子供たちなんじゃないかなって」

後藤「なんか世代によって対応が分かれてた感じでしたね。僕は静岡に一瞬帰ったんですけど、地元でもガソリンがない、トイレットペーパーがないっていう騒ぎが起こってて。でも30代とか40代、あと俺の父ちゃんとか母ちゃんとかは早い段階から物資集めて動き出してたり。だけど例えば、東京では本気で逃げようって慌ててる上の世代の人もいて。その温度差すごいなぁって」

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