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石井光太 ×後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)

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石井「変わってはいけないという定義が常に流れているのはおかしいんです。ではなぜそういった定義がまかり通っているのかというと、はっきり言ってしまえば分かりやすいから、それだけです。テレビ、本、雑誌、何でもそうですけど、一面性だけを捉えて、これが人間だ物語だ世界だって決め付けるとその情報は分かりやすく伝えられます。受け取る側も手に取りやすいし、読みやすい。売れるかどうかは分からないですが、少なくとも売りやすいっていう共同原則が成り立っている。ひとつの物事の中には、無限に多面性があります。光を当てる角度によって全く違う見え方をする。にもかかわらず、その多面性を発信しようとする人は殆どいない。だから、世界が窮屈になってしまう。僕は、テレビや新聞で報じられる世界の物事や出来事が全て「そうじゃないんだよ」ってところからスタートさせたいんです。例えば、餓死する人間がいます、栄養失調でお腹が膨らんだ人間がいます。栄養失調の人間は世界に10億人くらいいる。だけど、その10億人が全て死ぬわけじゃない。そんなことが繰り返されたら人類は滅んでしまう。つまり、栄養失調の人間も生きている。腹が膨らませたままサッカーしています。セックスしています。排泄しています。それが現実なんですよ。だけど、それを認めない。僕は、そこに違和感がある。世界の飢餓・貧困という問題だけではなく、今回の東北大震災もそうです。みんな、復興は素晴らしいって言うけど、復興に対して抗う人もいるんです。被災地で取材をしてきましたが、今回の被災地になった場所には、入り江があって漁村があってその中で暮らしてきた文化や伝統がありました。それが、一瞬にして波にさらわれてなくなってしまったわけです。そこには、瓦礫の山しか残らない。その瓦礫の前で、ある老人に会いました。老人は自分が生きてきた証拠、自らのアイデンティティを見つけ出すかのように、瓦礫の山の中を探すわけです。でもそこにたちまちブルドーザーがやって来て、「復興」の名の下に全部を片付けてしまうわけです。そのとき老人は、『何か少しでも見つけたいからやめてくれ!』って叫ぶわけです。だけど、僕たちの世界の中では、復興=素晴らしいってことになっている。老人達が持っている当たり前であるはずの心情は、踏み潰されてしまう。人間として生きる上で最も大切なのは、その老人が抱いている、社会が想像しないようなその心情を尊重し守ることなのではないか、僕は常にそう考えてきました。僕が今回の新刊『飢餓浄土』で書いたのは、その多面性です。戦争であっても貧困であっても性の世界であっても、やっぱり僕たちが普段見ている文脈とは違った多面性がある。たとえあやふやな噂や幻であっても、個人個人がすがるように自分の心のうちに「小さな神様」を必ず持っている。僕達が見ようとしない、あるいは社会が遮断してきた、“人間とは何ぞや"という問いを見つめて書いてみたんです。
何故そう思ったのかと言うと、いろんな理由があります。後藤さんも僕もバブルの全盛期のころに小学生でしたよね。小学校の終わりか中学生になったくらいのときに、バブルが崩壊しました。当時、自分の住む家の周りに住んでいるのは、バブル全盛の社長さんばかりでした。僕は、本当にそれが嫌で、胡散臭いとしか思ってなかった。だけど、当時は実際にお金を持っていたし、成り上がっていた。バブルが弾けたその人達は、一番打撃を被って一瞬にして消えていきました。それを見たときに、一方だけの社会的な観念・見方っていうのが自分の中で音を立てて崩れたんです。その時、社会的文脈を完全に取り払った、人間一個人の中から考え、書いていく必要性を感じたんです。」

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