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環ROY × 後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)ー対談-
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──環さんて今おいくつなんですか?

「28歳です」

──環さんが高校生くらいになる90年代後半の時期って、日本のヒップホップが徐々に勢いづいてきた時代ですよね。

後藤 「確かに、いろんなところで見かけるようになったね」

「楽器屋さんでターンテーブルの方が売れるみたいな時期で」

後藤 「僕はその時、中華街でバイトしてたんだけど、DJとかラッパーの人がいっぱいいた、ビックリするくらい」

──そのころは、雑誌などでも「今、DJがかっこいい! モテる!」なんて特集も出てきたり。

「そうですよね」

後藤 「90年代後半ね。横浜はその頃、ヒッポホップかパンクやる人ばっかりだったな」

──バンドを始めるより、ラップやDJを始める人が増えていった時期だったかもしれないですね。

「片田舎の少年も、まんまとそれに掴まりましたね(笑)、ZEEBRAさんの1stアルバムは、発売日に買いましたもん」

──環さんが、BUDDHA BRANDをはじめとするヒップホップにのめり込んだ理由って何だと思います?

「わかんないっす。ただただ、カッコイイ!と思ったんです。今まで聴いたことのない音楽だって思って」

──後藤さんが高校生のころは、ヒップホップのアーティストはそこまで台頭してなかったですかね?

後藤 「僕達の時代は、ビースティ・ボーイズだね」

「そっか」

後藤 「ビースティ・ボーイズをロックの一部みたいに聴いてたな。僕は、基本的にはギター・ロックが好きだったから、ティーンエイジ・ファンクラブとデ・ラ・ソウルがやった『フォーリン』っていうのが、めちゃくちゃ良くて。映画のサントラなんだけどね。PVとかめちゃくちゃいいんだよ、黒人の天使の子供が出てきたりして。あとは、ロック・バンドがラップするようになったでしょ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとか」

「レッチリとか」

後藤 「時期が違うと衝撃を受けるものも変わってくるよね。今、僕が中高生だったら、ギターを買ってなかったかもしれない。MPC(※ヒップホップの楽曲制作で定番なサンプラー)とかが欲しくなるかな、多分。フットワーク軽そうだし、「僕にもできそう」って、普通できないんだけど思っちゃうかな」
「できますよ! “俺にもできそう!って気持ちがすごい大事ですよね」

後藤 「そうだよね。僕も最初にオアシスの曲聴いて、“コード簡単だな。これなら僕にもできるんじゃないかなって思えたのが入り口だからね」
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