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金澤ダイスケ(フジファブリック) × 後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)ー対談-
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──キーボーディストって、ギタリストに比べると数が少ないですよね。

金澤「そうですね。僕も最初はギタリストになりたかったんですよ。そういう人って多いと思いますよ」

後藤「へぇ?、不思議」

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金澤「キーボードを弾く人の半分は、元々ピアノを習っていた人だと思うんですよ。僕もそのひとりで。妹と僕は歳が離れていて、妹が3歳になるころにピアノ教室に通うっていうことになって、僕も便乗してみようかなと。弟も一緒で兄弟でピアノ教室に通ったんですけど、結果一番練習したのが僕で、妹は全然身にならず。でも、僕がピアノ教室通っていたのは小学校中学年くらいなんです。で、中学生になって文化祭とかでバンド発表会みたいなものがあって、その機会にギターをやりたいなって思って。親にギターをせがんだんだけど買ってもらえず、友達で先にギターをやっている友達がいて、その友達に“お前はピアノ弾けるから、キーボードだ!"ってなって。だけど、僕はギターが弾きたかったから悔しいなって思っていて、ちょうどそのころテレビですかんちを見たんですよ。それで、すかんちでロックにキーボードを弾く小川文明という人がいまして、彼のプレイを見たらこれだったらギターに勝てるかもしれないという対抗意識を燃やしてしまって」

──そこでキーボードを弾くきっかけになったというアルバムが?

金澤「すかんちの『GOLD』というアルバムだったんです」

──この作品は、1994年発表ですね。

金澤「僕が14歳の時、中学2年ですね。まずは、この人(小川文明)を目指せば最初のステップとしては間違いないと思って。で、大学の時にこの小川文明の弟子入りというか子分みたいな形になりました」

──小川文明さんのコンサートを観に行って、接触されたんですか?

金澤「ピアノのソロ・コンサートをやっていることがあったので観に行って。仲良くなってっていうのも可笑しな話ですけど、仲良くなったら手伝いに来てくれってことになったんですね」

──中学の文化祭をきっかけに、キーボードを弾くようになったんですね。

金澤「そうですね。それまで僕は、F1レーサーになりたかったんです。家の隣が車屋さんで家の近くにサーキットがあったんですけど、その車屋さんの友達がそこに連れて行ってくれたんです」

後藤「当時空前のF1ブームだったからね」

金澤「そうです! そこです」

後藤「アイルトン・セナとか中嶋悟とか、そういう時代だね。みんな、ベネトンのポロシャツ買いに行ったよね。俺もすごい派手な黄緑色のポロシャツ買ったよ(笑)」

金澤「僕もベネトンのポシェット持ってました(笑)」

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