ソフトタッチ『リビルド』ライナーノーツ
“動き出す”のは彼らの“止まった時”だけではなく、今作を聴いたあなたの心でもあってほしい。 〜ソフトタッチ『リビルド』に寄せて
(文:本間夕子)
止まった時が動き出す——————。
実に11年というインターバルを経て、来たる2018年9月12日、いよいよ全国リリースされる(タワーレコード新宿店のみ7月11日から先行リリース)ソフトタッチのニューアルバム『リビルド』は、1曲目にして表題曲でもある「リビルド」の、力強く、そして喜びと確信に満ちたこのフレーズで揚々と幕開ける。それは彼らがバンドを解散してから再び歩みを共にするまでの、10数年もの長きに渡ったブランクさえ一息に飛び越える、軽やかにしてしたたかな再構築宣言であることは間違いない。
そう、ソフトタッチは一度解散したバンドだ。それも2003年春、今から15年以上も昔の話になる。佐野史紀(Vo.& G.)と星野誠(Dr.& Cho.)はその後、新バンド、ベッドタウンを結成するなどしつつも、メンバーの進む道は各々違うものとなっていった。以来、それぞれに仕事を持ち、それぞれの日々を営んでいた彼らだったが、2016年夏に突然、活動を再開する。4人とも仕事は続けながら、しかし、けっして趣味の範疇では終わらせない。おそらく明言はせずとも暗黙のうちにそうした覚悟も共有されていただろう。音楽不況が叫ばれて久しい昨今、しかも四十路を過ぎようというタイミングでなぜ彼らはソフトタッチを復活させたのか。もとより解散あるいは活動休止したバンドが再始動すること自体は世間的にそう珍しいことではない。だが当時インディーズをフィールドとし、一躍注目を集めながらもわずか5年弱で途絶えたソフトタッチの活動の軌跡が、彼ら自身の意志で今、新たに“その先”へと繋げられたことに何かしらの意味を感じずにはいられないのだ。では、そもそもソフトタッチとはどんなバンドであったのか。まずはそこから紐解いていこう。
大学卒業後、1998年秋、佐野史紀を中心に大学の軽音サークル仲間だった山田真一(G.& Cho.)、渡辺大介(B.& Cho.)、佐野の高校時代の同級生である星野によって結成されたソフトタッチ。ギターロック/ギターポップ・ムーブメントが音楽シーンのメインストリームだったその当時、ソフトタッチが目指した音楽性も当然のごとくそれらに色濃く影響されたものだったという。
「時代的にそういう音楽がたくさん輸入されてきて、身の回りに溢れていたんですよ。イギリスとアメリカの、いわゆるオルタナティブっていうジャンルに位置づけされるような人たちが大好きで。それこそオアシスとかブラーとか、ティーンエイジ・ファンクラブみたいになりたいって思っていました」(佐野)
かくして彼らは2000年、全編英語詞からなる1stアルバム『Positive Thinking』 をインディーレーベル“アンダーフラワー”よりリリース、作品デビューを飾る。現在は運営されていないが、アンダーフラワー・レコーズといえばサニーデイ・サービス、ノーナ・リーヴス、ショートカット・ミッフィーら、ギターロック/ギターポップの優れたバンドを次々に輩出、メジャーデビューへの登竜門ともなった伝説とも呼ぶべきレーベルであり、ソフトタッチの歴史を遡るに欠くことのできない存在だ。当時のアンダーフラワー社長、田中謙次氏は彼らとの出会いを振り返ってこう語る。
「最初はデモテープを送ってくれたんですよ。で、聴いたらすぐに好きになって“一緒にやろうよ”って声を掛けたんです。当時、なかなかいない感じのバンドだったんですよね。轟音のサウンドなんだけど、ボーカルがちょっとへなちょこっていうか(笑)、人前で話すのは苦手そうなのに、音楽を通すとちょっとはっちゃける、みたいな。ソフトタッチって表向き“やってやるぜ!”ってキャラの人たちではないけど、特に佐野くんなんかはすごく熱いものを胸に秘めてる。そういうところが伝わってきていいな、と」(田中氏)
しかし『Positive Thinking』を作り上げたことで、ソングライティングを一手に担う佐野に変化が訪れた。佐野の言葉を借りるならば“憧れをとにかく直球で入魂し過ぎた”ことで、等身大の自分をいっそう求めるようになったというのだ。
「それまでは英語詞だったんですけど、そこから日本語とか日本人ってことを意識するようになっていきました。サニーデイ・サービスやフリッパーズ・ギターも大好きだったんですけど、それも“憧れ”じゃないですか。なので、そこに自分を重ねても仕方がない。あの音楽はあの方々がやっているからイカしているのであって、じゃあ自分ができることってなんだろうっていろいろ模索するようになっていったんですよね」(佐野)
ギターポップに限らず、もともと音楽全般が好きだったと明かす佐野。彼のルーツを遡れば幼少時からピアノを習い、中学生でクラシックの作曲を始めていたというから、その幅はこちらが想像する以上に広いのだろう。その後、日本語詞にシフトしたソフトタッチは2002年の春に1st EP「セイリョウカンベットタウン」、同年秋には2nd EP「エンドマークタワー ep」という今なお傑作との呼び声高い2作をリリースした(2007年には2 in1 CD『SOFTTOUCH』としてアルバム化)。今回のニューアルバム『リビルド』のプロデュースに携わった後藤正文のバンド、アジアン・カンフー・ジェネレーションがミニアルバム『崩壊アンプリファー』を同レーベルからリリースしたのもこの頃だ。以降、互いにリスペクトし合う2バンドの歴史的邂逅。『Positive Thinking』を先んじてリリースしていたこともあり、レーベルの同期とも呼ぶべき間柄ながら、知名度とライブの動員数はソフトタッチがアジカンを上回っていたが、そのときすでに佐野は両者の間の決定的な差異をリアルに感じ取っていたらしい。言うなればそれは時代を体現するエネルギー。
「あの頃、1990年代から2000年代に移行していく感覚というのを肌身ですごく感じていて。ソフトタッチはどちらかというと憧れから始まったバンドなんですよ。僕の中で“憧れを具現化する音楽”って90年代的だと思っていて、僕らはそちら側に属していたんですね。で、2000年代にアジカンがグンと抜きん出てきて。当初こそアジカンも英語で歌っていたんですけど、日本語詞になったのを聴いたときに“ああ、2000年代のロックミュージックが流れている”って感覚があったんです」(佐野)
だからといって腐ったり、後ろ向きになったりしたわけではない。前述の通り、「セイリョウカンベットタウン」も「エンドマークタワー ep」も日本語ロックの先鋭としてインディーズながら多大な評価を得、バンドへの期待も高まる一方だった。前出の田中氏をして「言葉のチョイスが絶妙に面白かったし、「微妙です」とか、ああいう歌詞を歌えたバンドは他にいなかった。当時、僕が知り合ったバンドの中でも重要な原石のひとつでしたね」と言わしめたほどだ。だが、元来の真面目で考え過ぎる性格も相俟って、ソフトタッチは徐々にその方向性を見失っていく。音楽的なベクトルのブレや、なかなか叶わないメジャー進出への夢も焦りや葛藤に拍車をかけたのかもしれない。しかしながら佐野に解散を決意させたのは、やはり2000年代的ムードへの自分なりの回答、それを今一度しっかりと整理し直したいという想いだった。
「当時の僕は結構ひねくれていまして(笑)、エレキギターを持って鳴らす音楽がロックのメインだとしたら、逆にそのカウンターとしての何か作ってみたいと思ったんですね。例えばアコースティックギターを持って、フォークロック的なニュアンスのものでもっと今っぽいもの、面白いものができるんじゃないかって。そういうカウンター的な考え方で音楽をやってみたかったんです」(佐野)
そうして佐野は星野とともに2003年春に新バンド、ベッドタウンを始動、ソフトタッチは解散する。だが、それから数年後、30歳になるタイミングでベッドタウンの活動も一旦休止となってしまうのだ。ついに迎えた人生の節目に佐野は就職を決意、それでも会社勤務の傍らでコツコツと個人的な創作活動を行なっては、曲が出来るたびにベッドタウン名義でインターネットを介し、世に発信し続けてきたという。話を聴けば聴くほどに、彼をそこまで音楽に駆り立てている原動力とは一体なんなのかと思わずにはいられない。
「やっぱり“好き”なんですよ。いいねって言ってもらえるからなのか、嫌いと言われて“こなくそ!”と思うからなのか、僕自身、いろいろ考えたこともあるんですけど、たとえ第三者が絡まなくても音楽は純粋に好きだし楽しいって思うんですよね。自分の中に新しい価値観を作るということ……例えば自分の中で今まで以上に音楽性が進化したって思えるところに充実感を感じるんです。で、あわよくば他の誰かにもそれを拾ってもらえたら、より幸せだなって」(佐野)
ちなみに音楽を作らない自分は想像できるかと問うてみたところ、「あ〜……想像はできますけど、やっぱり作っちゃうんじゃないですかね」と屈託のない笑顔が返ってきた。だからこそ余計に気になってしまう、自給自足で音楽を楽しめる彼がなぜ今、再びバンドに回帰したのか、と。
先日、当サイトに掲載された佐野のインタビューで本人も明言しているが、実のところソフトタッチの再結成は今回が初ではない。10年ほど前のそのときはメンバー同士の事情が合わず、永続的なものにはならなかったが、その頃から佐野の胸の内には密かに“また一緒にやれたら”という想いがずっと息づいていたという。しかも、それは“バンドをやりたい”のではなく“ソフトタッチをやりたい”という初期衝動にも似た純粋な思慕だった。佐野にとってのソフトタッチとは離れても変わらぬ仲間であり、いまだに一緒にやっていると青春を感じる存在なのだという。かけがえのない仲間同士、10年前には噛み合なかったものがここにきてカッチリとハマり、4人は現在就いている仕事とバンドの二足のわらじでまたしても同じ時間を歩き始めた。昔は“こうでなきゃいけない”などと固定観念に縛られていたが今は“これもいいね”と言える、その都度その都度の展開を楽しめるようにもなっているらしい。そして、そんな盟友の復活を心から喜び、活動のサポートを真っ先に申し出たのがアジカンの後藤だ。結果、後藤と井上陽介(Turntable Films / Subtle Control)がプロデュースに携わることとなり、ソフトタッチは1年もの月日をかけて再生の第一歩にして会心の新作『リビルド』を完成させたのだ。
同じ社会に生きる他者への敬意をたたえた客観的な佐野の視線。冷静に距離を保ちながら、その目に映った赤裸々な現実を、誰にもできない切り取り方で浮かび上がらせては聴き手に突きつける歌詞。彼が綴り、歌う言葉をブーストするのは瑞々しくも分厚いバンドアンサンブルだ。ザクザクと歯切れのいいリズム、疾走感を太く支えるグルーブ感、時に繊細だがあくまでも伸びやかな旋律が絡み合ってどこまでも躍動するサウンドは、四人四様、個々を全うした10数年間がなければきっと成立し得なかっただろう。社会に出て、他者にまみれ、酸いや甘いの多様性をイヤというほど味わってきた今だからこその音楽。気安くコミュニケーションを謳いながら、その本質はむしろ稀薄になるばかりの殺伐とした今の社会の現状に、彼らの切実にして誠実な希望が鳴り渡っては降り注ぐ。『リビルド』というタイトルには込められているのは“再編”“再構築”への意志と願いであり、さらには問題提起でもあるかもしれない。“動き出す”のは彼らの“止まった時”だけではなく、今作を聴いたあなたの心でもあってほしい。なお、このアルバムの詳細については前述した佐野のインタビューにてたっぷりと語られているので、ぜひご参照いただければと思う。
さて、『リビルド』制作後も佐野の創作意欲は衰えることなく、新たな曲が続々と生まれているらしい。最後の質問として佐野に、この先、また音楽一本で生きていく可能性を訊ねてみた。
「その質問に対する直接的な答えではないかもしれないですけど、僕の希望としては、居場所というか、ソフトタッチの音楽を鳴らす場所が確立できたらなとは思ってます。その結果として音楽一本になるかもしれないし、そうでないかもしれない。一本にしなければという角度では考えてないですね、今のところ。ただ、音楽も仕事だと思ってやっているので。仕事にもいろんなことが含まれますけど、僕の場合、仕事に望むのは自己実現だったりするんです。やっぱり新しい価値観を生み出したいというのが僕の中でのテーマなので、それを今の仕事でも、ソフトタッチでもやっていければなって」(佐野)
“再構築”の先に彼らが作り上げるのは果たしてどんな未来だろうか。
<ライター:本間夕子>
東京生まれ、新潟育ちの音楽ライター。1992年よりエディターとして洋邦の音楽雑誌および書籍の編集に携わる。2005年よりフリーランスに転向、ライターとして本格的に活動を開始。インタビュー、ライブレポートを中心に雑誌、ウェブ等の各媒体を通じて執筆、発信中。アジアン・カンフー・ジェネレーションのライブドキュメントブック『夏、無限。』など、アーティスト、バンドのツアーやレコーディングに密着取材した書籍等も数多く手掛けている。