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クリス・ウォラ インタビュー
(2015.11.05)

結成時から17年にわたりギタリスト兼プロデューサーとして、ヴォーカルのベン・ギバートと共にデス・キャブ・フォー・キューティーを牽引してきたクリス・ウォラが、バンドを脱退したのは昨年9月のこと。以来その動向に注目が集まっていたが、ここにきて自ら主宰するレーベルTrans Recordsから送り出した2枚目のソロ・アルバム『Tape Loops』はなんと、アナログ・テープに録音した音源を切り貼りして作ったループで構築した、インストゥルメンタルのミニマルなアンビエント・ミュージック。ブライアン・イーノの1970年代のアルバムを想起させ、デス・キャブ~の諸作品とも、7年前に発表したソロ1作目『Field Manual』とも全く異なる音楽性を提示している。そんな驚くべきサウンドで新たなスタートを切ったクリスに、バンド脱退の理由や『Tape Loops』誕生の経緯を訊いてみると、デス・キャブ~に言及する際には言葉を何度も選び直したり、じっと考え込むこともしばしば。他方、『Tape Loops』の話となると、俄然口調も軽くなる。いまだ過去と未来の狭間にいる、彼の葛藤をリアルに感じさせる語り口が、誠実な人柄を浮き彫りにしていた。

(取材・文:新谷 洋子)

最近ノルウェイの北極圏にある町に引っ越したそうですね。あちらに家族がいるんですか?

「実は僕の家族は4代前にノルウェイから移民してきて、20世紀の初めからシアトルに住んでいるんだ。だから僕のルーツはノルウェイにある。遠い親戚もいるよ。でも今回引っ越したのは、それとは関係なくて、妻がノルウェイの大学で学ぶことになったのさ。今は事実上、北極に住んでいることになるね」

慣れるまで大変だったのでは?

「そうでもないよ。どこかアメリカの北西部に似たところがあって、親しみが湧くんだ。ほんと、シアトルに似ていて、しかもノルウェイ北部の人たちはみんなフレンドリーだし、みんな英語を話すし、不思議なくらい苦労はしなかったよ(笑)」

偶然にも新しい土地で、アーティストとして新しい出発を切ることになって、意識の転換が容易になったようなところはあるのでしょうか?

「う~ん、今はノルウェイとアメリカの間を往復しながら生活していて、それが現時点での僕の状況を物語っているような気がするんだ。というのも、僕はまだ音楽的な意味で片足を過去に置いている。一生懸命前進しようとしていて、バンドとは別個の、独立したアイデンティティを確立しようと試みているわけなんだけど、それは途方もなく大きなチャレンジなんだよ。なんたって一組のロックバンドの一員として、17年間を生きてきた。つまり、大人になってからの全人生だろう? そこから自分を切り離して、アイデンティティを刷新するとなると、長い時間を要する。僕がデス・キャブ・フォー・キューティーのメンバーとしての最後のライヴ(注:2014年9月13日)をプレイしてから、すでに1年以上が経った今でも、まださほど距離を感じないし、生活パターンも完全に切り替わってはいない。デス・キャブ~の一員というアイデンティティは、いまだ強い磁力を発しているんだよね。そんなわけで、確かにノルウェイでの生活に助けられたところはある。でもシアトルにしょっちゅう戻ってくるから、なかなか難しいものだよ」

そもそもは、これまでデス・キャブ~の全作品のプロデューサーも務めてきたあなたが、今年春にお目見えした最新作『金継ぎ(Kintsugi)』にいたって「これはプロデュースしたくない」と感じたのが、脱退に至るひとつの前兆になったそうですね。

「うん。それから実際にバンド脱退を決めて、ほかのメンバーに告げるまでに、半年くらいの時間を経ているんだ。具体的には、僕がプロデュースを辞退して、最終的にリッチ・コスティを起用してレコーディングを始めてから約1カ月経った時点で、脱退を決心した。プロデュースしないという決断が、直接脱退につながったわけじゃないんだ。あれはすごく自然なリアクションで、僕がやらないほうがうまく行くだろうという、言わば実用的な判断だった。でもその後作業を続ける中で……僕の心が100%そこにないように感じてしまった。バンド結成以来初めて、自分は何か別のことをやっているべきなんじゃないかと思い始めたのさ。それが何なのか分からなくて、今もまだ明確には見えていないんだけど、とにかくバンドから離れるべき時が来たと気付いたんだよ」

脱退の意思を公表した時には、「未知の世界に惹かれる」とも話していました。バンドに意外性や新鮮味を見出せなくなったという面もあったんでしょうか?

「僕が思うに……ある程度予測がつくようになったにも関わらず、それで楽になるんじゃなくて、逆に音楽作りを続けることが困難になった――意味不明かもしれないけど、そういうことなんだよ。バンド活動について僕が厄介に感じていたことは、どれも、本来はちっとも難しくないはずのことだった。なのに何もかも、折り合いをつけるのが不可能なように思えた。パーソナルな意味で、乗り越えられない気がした。自分が知り尽くしていて、確立されていて、すっかり馴染んでいるものを放棄するというのは、簡単なことじゃない。僕はこのバンドに山ほどの時間と思い入れを注ぎこんできたし、もちろんリスペクトと愛情もたっぷりある。でもそれらは必然的に、クリエイティヴな対立やパーソナルな対立を伴うもので、そういう葛藤をひとつひとつ解決するプロセスにおいて、もはやほかのメンバーと一致点を見出せなくて、前に進めなくなってしまったのさ。もちろんバンドに留まることもできたよ……恐らく永遠にね。でも僕はハッピーじゃなかったんだ」

脱退を決めた頃には『Tape Loops』に着手していたんですか?

「うん。『金継ぎ』をプロデュースしたくないとほかのメンバーに告げた瞬間に、着手したと言えるんじゃないかな。つまり脱退前から取り掛かっていたんだ。あの日はさすが、みんな大きなショックを受けていたけど、僕の想いを理解してくれた。実際、アルバム制作は行き詰まっていたからね。だから一旦みんなスタジオから引き揚げたんだけど、まだまだスタジオは使えたし、僕自身も早速、“さてと、じゃあどうしようか?”という大きな疑問と向き合わなくちゃいけなかった。それか次第に、“僕はいったい何者なんだろう?”という問いへと変わっていった。“今の僕にとっていい音って何だろう? デス・キャブ~のアルバムをプロデュースすることに満足できないなら、僕を満たしてくれるのは何だろう? 僕は何を選択するんだろう?”と。『Tape Loops』はそういった疑問に対するひとつの回答なんだと思う。ほら、僕が音楽的に、自分の中から自然に湧き出るものを表現できる環境に置かれた結果が、このアルバムなんだ(笑)」

じゃあアナログ・テープを加工してループを作るという作業は、これまでもずっと好きでやっていたことなんですね。

「ああ、長年やってきた。元を正せば、14~15歳の頃にアンビエント・ミュージックの類を聴き始めてのめり込んだのが、全ての始まりかな。ブライアン・イーノは僕にとって最大のヒーローのひとりだしね。その上、最近の僕は、ミニマリズムの進化形を探るミュージシャンたちをたくさん発見して、聴き漁っていたんだ。それぞれに異なる形でミニマリズムを掘り下げていて、そういったアルバムと非常に密な関係を築き上げていた。彼らの音楽が、僕の友達になってくれたんだ」

いくつか例を挙げてもらえますか?

「もちろん!例えばティム・ヘッカー(Tim Hecker)はモントリオール出身のミュージシャンで、ノイズ寄りのサウンドスケープを作る。時として不安感をかき立てて、ヴァイオレントで感覚を逆なでするようなところさえある音楽なんだけど、それを実に美しく仕上げるんだ。あとは、fennesz+sakamotoだね。数年前にNHKワールドで坂本龍一に関するドキュメンタリー番組を見て、言うまでもなくYMOの音楽は知っていたし、彼のサウンドトラック作品も幾つか聴いたことがあったんだけど、番組の中でクリスチャン・フェネスとのコラボレーションに触れていて、俄然興味を惹かれた。以来、この名義でリリースされた2枚のアルバム(注:2007年の『cendre』と2011年の『flumina』)は、過去10年間の僕の最愛のアルバムと化したんだよ。ここにきて、ミニマリズムは新たな豊穣の時を迎えているんじゃないかな。本当に美しい作品が続々誕生しているし、今年はマックス・リヒターの新作『Sleep』も素晴らしかったね」

バンド脱退後初の作品で、しかもこれまでにあなたが関わったどの作品とも全く音楽性が異なっていて、驚く人は多いと思うのですが、これがあなたのデフォルト的な表現なんですね。

「そう思うよ。こういう変遷の渦中にある時、様々な疑念や不安を抱えている時、人間ってしばしば過去を振り返るものだよね。幼少期だったり少年時代だったり、2年前、5年前、10年前、15年前、はたまた30年前、それぞれ異なる時期の自分に立ち返って、その時々の自分の体験を検証する。これは『Tape Loops』を完成させるまで気付かなかったことなんだけど、1995年にベンと出会って一緒にプレイし始めた頃、僕はすでにこの手の音楽を作っていたんだ。ナマ楽器を使ったポップな表現を追求する一方で、独りであれこれ実験していた。そういう意味で『Tape Loops』は、なんらかの主張とか宣言とか、新しい出発と言うよりも、一種の“回帰”なんだよ。故郷に帰るような気分だね。デス・キャブ~を通じて僕の音楽を知った人たちにとっては、聴き慣れないかもしれないけど、僕には極めて身近で親しみがある故郷なんだ。ほんと、すごく自然に感じられたよ」

昨今のデジタル主体の音楽制作へのアンチテーゼみたいなところも、多少あったりするんでしょうか?

「う~ん、デジタルなアプローチそのものと言うより、デジタルなアプローチの“ペース”に対するリアクション、なのかな? 今の音楽は、僕にはすごく威圧的に感じられて、聴き手に多くを要求する。しかも、わざと高圧的でパワフルに作られているようなところがある。でも僕は、強引に聴くことを要求するんじゃなくて、そっと招き入れてくれるような音楽に興味があった。アナログ・テープは、その“招く”という要素を備えていると思うんだ。テープであるがゆえに、あくまでフィジカルなプロセスであり、テープのループを作る作業はゆっくりと進行し、急がずに深く考えながら決断をしてゆく。忍耐力も必要だよね。忍耐力を育て、養うプロセスなんだ。だから願わくばリスナーのみんなにも、このアルバムを聴いて、そういう忍耐力を自分の中に見出してもらえたらうれしいね。もちろん、それを強制するつもりはさらさらないんだけど!」

起承転結の流れが曖昧で、非常に直線的に進行するこのような曲を構築する際は、当初からあなたの中に何らかの意図やゴールを描いて、取り組んでいるのでしょうか?それとも、成り行きに任せる自然発生的なプロセスなんですか?

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「かなり自然発生的だと言えるね。もちろん意図するところもあって、最終目標は、僕の中の一部分と、僕にとって大切なんだけど接点を保ち続けるのが困難な一部分と、うまく接点を保つ手助けになるような音楽に辿り着く――というもの。だから、作りながら、何かがうまくいっている時はピンと来る。“これだ!”と実感できて、それを徹底的に追及するべきだと僕に知らせてくれる。それを美しく潤色し、育てるべきだと。と同時に、プロセスそのものは自然発生的でもあるよね。なにしろモノとして実在するテープのループを使うわけだから、コントロールできる面も多少あるけど、大方は、偶然の展開に任せるしかない。技術的に、いかに編集するかによって結果は変わる。テープをどんな風にくっつけるかによって。アナログ・テープという媒体そのものに、曲の構成は左右されるんだ。従ってある程度は運命任せで、コントロールすることを諦めなくちゃいけない。“こういうものを作るぞ”とどれだけ意図しても、最終的に生まれる音は当初の意図とは全く違うかもしれない。じゃあ、そこに意味があるのか、美しいのか、価値があるのか、僕は判断し、価値があると感じたら作業を続行して曲の形に仕上げる。どちらにせよ僕にとってはこの上なくパーソナルで、ある意味でスピリチャルなプロセスだったよ」

たった独りで音と向き合って作業をするわけですから、当然そうなりますよね。

「うんうん。独りだし、でも寂しくない。うまく言えないんだけど、僕は、自分自身に寄り添うことができた。今振り返ると、本当に楽しいレコーディングだった。非常に重要で、意味深い時間だったよ」

じゃあ、曲のタイトルにもそれぞれパーソナルな意味があるんでしょうね。

「ああ。極めてパーソナルだ。インストゥルメンタルな作品においては、言葉のひとつひとつが大きな意味を持つ。正確じゃなきゃいけないんだ」

ちなみに冒頭の曲『Kanta’s Theme』の“Kanta”は、日本と関係があるんですか?

「うん!っていうか、このアルバムに収められた曲の多くは、ルーツを辿ると日本に行き着くんだよ。そもそも僕の父親はボーイング社に務めていて、全日空や日本航空と仕事をしていたから、しょっちゅう日本に出張して、毎回たくさんのお土産を持ち帰ってくれたんだ。日本のオモチャだったり、音楽だったり、絵や写真だったり、カルチャーに関わるものだったり。だから幼い頃からすごく日本に親しみを抱いて育った。それに学校にも日本人の交換留学生たちがいて、彼らに大きなインパクトを与えられたんだ。で、2012年に妻とプライベートな旅行で日本に行ったんだけど、本当に素晴らしい旅だったよ。これまでに訪れたことがない地方にも足を延ばしたし、神戸に住んでいる交換留学生のひとりと再会もしたんだけど、なんと対面するのは1981年以来でね(笑)。たまたま母がずっと連絡をとっていたんだよ。そして、彼と息子が関西をあちこち案内してくれたりもして、子供の頃の自分に立ち返るきっかけになった。中でも今回の日本旅行で最大の収穫と言えるのは、三鷹の森ジブリ美術館だね。長い間宮崎駿の作品のファンだったんだけど、あの美術館に溢れていた感動や希望、好奇心、或いは飽くなき美へのこだわりに僕は圧倒されてしまった。だって今どき、ヴィジュアル・アートに関わる施設で一切コンピューターを目にしないなんて、信じがたいことだよね。特に、アニメーションの歴史に関する展示の部屋が素晴らしくて、もう言葉では言い表せないくらいだよ。とにかくあまりにも感動した僕は、旅から帰ってきて宮崎作品を改めて見ていて、その時に興味を抱いたのが『となりのトトロ』に登場するカンタって男の子だったのさ。そんなに主要なキャラってわけでもないんだけど、僕に強く訴えかける存在で、照れ屋であがり性で、草壁家の姉妹とどう接していいのか分からなくて困惑しているんだけど、好意を抱いていて、いいことをしたいと願っていて、実際にトラブルが起きた時には助けにやってくる。そんなカンタの描き方や、あのストーリーにおける彼の立ち位置に僕は無性に共感して、あの曲の誕生につながったんだよ」

そんな風にひとつひとつにたっぷり意味を込めた曲のタイトルに対し、アルバム・タイトルは素っ気ないほどシンプルですよね。これは意図的な選択なんですか?

「そういう部分もあるよ。ジブリ美術館にも通ずることだけど、驚きや美といったものが、ある意味で、非常にメカニカルで説明的なものの中にも存在し得るという考えに、基づいているのさ。僕はそういうセオリーに惹かれるんだ」

この先は何かほかにもプロジェクトが控えているんですか?

「『North』という映画のサウンドトラックを手掛けていて(注:来年公開予定)、映画音楽はずっと前からぜひともやりたかったことなんだ。でもこうして携わってみて、いかに難しいことだか思い知らされたよ(笑)。映画音楽っぽい作品を作ったからといって、映画音楽そのものを作れるわけじゃない。少なくとも僕の場合はね(笑)。音を映像に合わせて作るという作業は、普段の音楽作りとは全く異なる。ひとつのサウンドスケープを構築して、そこから何らかの映像を想起するのはすごく簡単なんだけど、その逆は本当に難しい。最近になってようやく、形になりつつあるけどね。どうやらコツが分かったらしくて。それにしても、自分が想像していたものとは全然違っていて、大きなチャレンジだったよ。それからプロデューサーとしでは、近々とある日本人のミュージシャンのアルバムに関わるかもしれない。僕は長年、彼のバンドのファンだし、過去にデス・キャブ~のツアーで日本に行った時に2度くらい会って意気投合したし、ぜひ実現させたいと思っているんだ」

そして、今後どんな音楽を作るにしても、こういうテープ・ループを何らかの形で用いてゆくんでしょうね。

「そう思うよ。だって、放っておいても勝手に僕の中から流れ出るものだからね(笑)。とにかく自然なんだ。実際、過去数年間に僕が関与した作品にはどれも、色んな形でテープ・ループが織り込まれている。『金継ぎ』にもテープ・ループを使ったし、僕がプロデュースしたロッキー・ヴォトラート(注:以前からクリスがコラボしているシアトル在住のシンガー・ソングライター)のニュー・アルバム『Hospital Handshakes』にも使ったしね。テープ・ループは、その出自と全く関係のない音楽を、実に美しく照らし出してくれる。光彩を添えてくれる。毎回そのパワーに驚かされるよ」

最後に、こうしてバンドを離れて最初のアルバムを作り上げてみて、クリス・ウォラというひとりのアーティストについて何か新たに学んだことはありましたか?

「そうだな……これまでの僕はずっと自分を、“何かを組み立てる人(builder)”と見做してきた。“何かを作る人”というか、まあ、音楽の建設作業員みたいなものだね。それがここにきて、『Tape Loops』というアルバムは、自分が“何かを育てる人(grower)”としての能力も備えていることを、教えてくれたような気がする。つまり、設計者であると同時に、同じくらい有能な庭師でもある――そんな感じかな。そして何かを組み立てるべき時と、何かを育てるべき時の違いを見極める感覚みたいなものが、アルバム制作を通じて、少しばかり身についたように思う。それは非常にパワフルで有意義な能力なんじゃないかな」

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