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Turntable Films
Small Town Talk
Turntable Films 『Small Town Talk』 Liner Notes ━ 岡村詩野
 今、この拙文を読んでくれている方の中には、Turntable Filmsという名前を、昨年、Gotchのソロ・アルバム『Can't Be Forever Young』を通じて知った人もいることだろう。あるいは、ステージにおいてそのGotchバンドのギタリストとして華奢な体そのままに繊細なリフを紡いだり、はたまたダイナミックにカッティングを聴かせる姿を見て、ああ、この人が…と初めてその姿を認識した人もいるかも知れない。その人こそが井上陽介。そう、Turntable Filmsのリーダー、ヴォーカリスト、ギタリストである。

 しかしながら、実際にTurntable Filmsというバンドのライヴを見たことがある人はかなり限られているかもしれない。なぜなら彼らは京都を拠点に活動しているから。現在、正式メンバーは井上陽介、谷健人、田村夏季の3名だが、その3名ともが京都生まれで京都在住。おのずと活動の軸が関西圏におかれているため、ミニ・アルバム『Parables of Fe-Fum』でデビューしたのは2010年のことではあったものの、その後しばらくの間、彼らは京都の“秘宝”のような存在として地元でひっそりと愛されてきた。いや、ひっそりと、だったかどうか当時東京に住んでいた筆者には実際のところはわからない。だが、少なくとも関西以外のエリアで彼らの名前が徐々に知られるようになったのは、2012年にファースト・アルバム『Yellow Yesterday』が京都きっての人気インディーズ=Second Royalから発表されてからのことだったのは間違いないだろう。

 Turntable Filmsを“秘宝”たらしめていたのは、彼らが京都を拠点にしていたからだけではない。10代の頃にブルーズ・ギターの洗礼を受け、カナダに留学していた頃には米国産のカントリー・ロックやフォークへの造詣を深めていた井上陽介がバンドのメイン・ソングライターであることも相俟って、彼らの楽曲は初期の頃からルーツ・ミュージック指向が強かった。現在も腕利きのスライド・ギター奏者がサポート・メンバーとして参加しているように、その音楽指向は極めてオーセンティックなカントリー、ブルーズ、フォークにある。結果、ついた異名が、“オルナタティヴ・フォーク・ロック・バンド”、あるいは“日本のウィルコ”。とても日本の20代のバンドとは思えぬその音楽趣味は、ティーンにとってはやや渋いもののように感じさせるところもあったように思う。

 Second Royalからリリースされた『Yellow Yesterday』は、しかしながら、そうしたルーツ・ミュージック指向をより洗練させたスタイルにまで消化させた絶好のタイミングで発表された。歌詞は全曲英語だったが、井上の言葉とメロディの組み合わせ──それはしばしば譜割という言葉で説明されるが──は、英語ネイティヴな人には決して作れないようなイビツな個性を持ったもので、さらにはフォークやカントリーというスタイルに極端にとらわれることのない、井上が時間をかけて蓄積してきた様々な音楽リファレンスを一つのカタチにしてみた、とりあえずの結果のような作品だったと言っていいだろう。

 「僕がカナダに留学で住んでいた頃って、ヴァンパイア・ウィークエンドがデビューしてダーティー・プロジェクターズが頭角を現した頃だったりして、USインディーの新しい潮流がすごく面白くなっていた時代だったんです。僕らの初期もそこに感化されていたし、当時、まだ僕がレコード・ショップに務めていたということもあって新しい情報がストレートに入ってきやすい状況でもあったんですね。でも、『Yellow Yesterday』はそれよりも前に聴いていた音楽、例えばウィルコの『ヤンキー・ホテル・フォックストロット』やジム・オルークの『ユリイカ』のようなアルバムの感覚も思い出したりして、もはや何でもアリや、みたいな状態になっていた。で、次はこの状態で演奏できる曲を作るところから始めようってことになったんです。それが今回のアルバムに向けての最初の第一歩でしたね」(井上陽介)

 実際、『Yellow Yesterday』がリリースされてからはバンドの体制も変わり、現在の正式メンバー3名+サポート・メンバー3名で定期的にライヴをやるようになっていく。そしてそれは、井上が言うところの「何でもアリ」をさらに具現化するための足場固めだったと言っていい。「何でもアリ」というとやや大雑把だが、井上、谷、田村というそれぞれ少しずつ異なる音楽的バックボーンを持ったメンバー3名の個性とカラーを生かした曲作り、アンサンブルを志すようになったことから、それまで各パートの細かなアレンジも井上が指示していたところ、次第にそれぞれのメンバーに多くを委ねるようになっていく。

 バンドの在り方が変わってきたのはここからだ。そして、本作の序章はここから始まるのである。

「昔から曲ごとの狙いはハッキリしていたんです。カーティス・メイフィールドのこの曲っぽくしよう、みたいな。でも、『Yellow Yesterday』以降に作り始めた曲では、最初のデモの段階でいかに崩そうか、という意識を持つようになったんです。つまり、メンバーに聴かせた時にはもうある程度咀嚼されていて制約を作っているから、メンバーに委ねることで崩れたりしない。むしろ、想像つかない面白さが加わるんです。歌詞とか構成はもう決まっているから、もう少し自由度を増やしながら、そこを楽しむというか。そういう感じで作ったのが今回のアルバムの曲ですね」(井上)

 『Yellow Yesterday』によって知名度を大幅に高めたバンドは、その後さらに定期的にライヴを行い、時に井上はソロ(Subtle Control名義)で弾き語りライヴもしたりしながら徐々に活動の半径を広げていく。同郷の先輩であるくるりと共同企画でイベント『WHOLE LOVE KYOTO』を行なったり、ASIAN KUNG-FU GENERATION主催の『NANO-MUGEN CIRCUIT』に出演したり、東京のシャムキャッツとスプリット12インチ・シングルを出したり2マン・ツアーに出たり、さらには最初に触れたようにASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文と井上との間で交流が深まり、後藤のソロ=Gotch名義での作品とツアーへと参加したり……といった具合。それまでのようなのんびりペースというわけにはいかなくなったものの、結果、こうした広がりと多様性のある活動の中から、バンドは着実にカントリーでもフォークでもないし、まして単なるギター・ロックでもない、あるいは京都でも東京でもない、大きな枠組みにおけるポップ・ミュージックという大きな海原に漕ぎ出していく。前作から実に3年、それは決して楽な道程ではなかっただろうが、ここに届いた『Small Town Talk』というニュー・アルバムは、言ってみれば最初はおそるおそる出帆し、途中幾多の困難を乗り越え、それ以上の手応えを掴んできた彼らが、一回りも二回りも逞しくなって航海から戻ってきた姿をそのまま作品として落とし込んだような1枚だ。

 その結果、これまでになく落ち着いたトーンを携えたメロウなタッチの仕上がりになっているのは興味深い。いや、もちろんポップはポップだ。井上らしいキャッチーなフックも全ての曲にしかけられている。けれど、UKソウル調の「Nostalgia」、スワンプ・ロック風の「Modern Times」など多くの曲でブラック・ミュージック・テイストという一定のフィルターに通したしたようなメロウネスが感じられる。だが、それがストレートに抽出されているかと言えばそうではないのがこのバンドの面白いところで、例えば1曲目の「Light Through」などは、バート・ヤンシュやジョン・レンボーンといった通好みの英国フォークの要素と、そこから影響を受けたジム・オルークを経由してロイ・ハーパーへと戻るような複雑かつ込み入った構成だが、最終的にブルー・アイド・ソウルのような洗練されたパッションに着地しているのがいい。

「この曲に関して言うと、フォークっぽい曲があまりないなあというところからスタートしたんです。でも、それだけだと僕らが作る意味がない。だったら、ソウル・マナーをそこに持ち込んで、さらに曲の中にブライアン・ウィルソンのようなコード進行を入れてみたらどうなるだろう?という感じ。一つの曲の中でいくつかの要素が混在するようになってきたんですよね……実はこういうソウルっぽい曲が増えたのには理由があって。今まで『Yellow Yesterday』まではヨコノリを禁止していたんです。ソウルっぽい曲が出来ても絶対に16ビートではやらないって決めていた。それは、ヘタなヤツがやってもダメ、それならいっそヨコノリの曲をタテにビートを刻むと却って面白いんじゃない?って意識があったから。でも、もうそろそろ大丈夫じゃないか、今だったらヨコノリにしてもイケるかもと思って解禁したんですよ」(井上)
「たぶん、ライヴ盤(『LIVE』2013年)を出したあたりからかな。で、実際にそのヨコノリを解禁してからこのバンドの方向性は確かに広がった。AORとかのブームもキライじゃないんですけど、僕らはもっと翳りのようなものを演奏に出して行きたいというか、出てしまうところがある。そうなると、ある時期のノーザン(・ソウル)っぽいものが一つの目標になるんです」(谷健人)

 そこで彼らが一つの指針にしていたのはカーティス・メイフィールドの『There' No Place Like America Today』(75年)。この作品を手にしたことがある人なら思い出してもらえるだろうが、ジャケットのアートワークが象徴的だ。笑顔で自動車を運転する白人たちが鮮やかな色彩でアメコミさながらに描かれる手前を、配給を待って列を作る黒人たちの姿が重いトーンで塞ぐように並べられている。それは、依然として人種差別が巣食うアメリカ社会に対するカーティスによる強いメッセージ。井上たちはこのアルバムの持つ洗練されたグルーヴやメロウな旋律のみならず、根底に敷かれたそうした社会の歪み、垢、ダークサイドへのアプローチに共鳴したのではないか。そして、そこにブラック・ミュージックの醍醐味を感じ取ったからこそ、このアルバム制作前のタイミングで黒人音楽のグルーヴをダイレクトに取り入れることを解禁したのではないか。となると、彼らが最初に志していたカントリーもフォークも、もしかすると無意識の中で、ブラック・ミュージックの流派の一つとして解釈していたのではないか(そして実際にカントリーもフォークもアフリカからの奴隷移民たちによるブルーズとの合流を受けて発展してきた音楽である)。もしそうであれば、彼らの音楽指向は最初からすごく筋が通っていたということになるだろう。

「うん、そう思ってもらえると嬉しいし、そういう解釈はすごく面白い。まさに僕らの狙い通りというか、実際にそういう意識は絶対にあるんです。僕らは明るいだけの音楽に興味がないし、実際に6人で鳴らしてみたら、すごくキャッチーなんだけど、どうしたってどこかに闇のようなものが見えてしまう。それっていうのはやっぱりカーティスのそのアルバムからの影響かなという気がしますね。今回のアルバムがメロウで少し翳りがあるように感じられたのであれば、間違いなくそういうことの現れだし、それが16ビートを解禁したタイミングでこうして曲にも現れたのは自分たちでも面白いなあって思います」(井上)
「解禁したとは言っても、実際は僕らの演奏自体がすごく変わったというわけではなくて。ただ、16ビートをやっていいんだ、という意識が自然と曲に寄り添えるようになったということだと思うんです。で、結果、聴いてくれる方にとって、ソウルっぽく聴こえるようになった、ということじゃないかな。「Nostalgia」は確かにカーティスっぽく…って感じで完成させたんですけど、すごく自然に出来上がった曲なんですよね」(谷)
「もともと僕はブラック・ミュージック、ジャズとかファンクって大好きなんですよ。好きなドラマーと聞かれればケンウッド・デナードと答えるくらい。それだけに最初、このバンドに入った時には“あ、ヨコノリはダメなんだ”って思ったりもしていました。でも、逆に二人に教えられる音楽も多くて、自分の中の引き出しが増えてきたなって自覚もあったんです。そんな時に、「雨の日はさよなら」(2014年「SOFT LABOR EP」に収録)をレコーディングしたんですけど、ここから16ビートが解禁になって。最初から16をバリバリ叩いてきたわけではないからこそ、というか、それまでの蓄積とか幅の広がりが生きてきたなって実感しましたね。実際、その頃から陽ちゃん(井上)の書く曲はそういう16ビートが生きるようなソウルっぽいものが増えたし、デモを共有する時にもメールとかで曲のイメージを伝えてくれるようになって。そこにはブラック・ミュージックからの影響が書かれていたりしましたからね」(田村夏季)

 そう、だからこそ、彼らは日本語で歌う必要があった。長らく英語で歌ってきた彼らが、本作で劇的に日本語歌詞に切り替えたこともまた、彼らにとっては16ビートへのトライと同様、封印してきたマナーの“解禁”だったのだろう。一昨年あたりからライヴで披露される新曲がことごとく英語でなくなってきたことから、何かが井上とバンドの中で変化したことを感じ取ってはいたが、このアルバムを通して聞いてみると、日本語による歌詞の新たなフォルムの形成が、新たな楽曲のスタイルを大きく支えていることにも気づく。

「確かに僕らが曲を作って披露すると、どこかに翳りが見え隠れする。でも、実はそういうダークサイドをそのまま直接的に見せたり聴かせたりすること自体には抵抗があったんです。例えば、“小指が切れました、はい、これがその断面です”みたいなのってやっぱりしたくない。それはリアリティに対する反発というより、直接的な表現に興味がなかったから。それより“指を切ったら、こういう痛みなんです”として表現する方がいい。もちろん、今もそういう美意識はあるんですけど、もうそこにも照れや抵抗がほとんどなくなった。16ビートでやるのも日本語で歌うのも、言ってみれば小指の断面を見せてしまうような行為ではあるんですけど、今なら、それでも決して露骨な表現にはならないだろうなという自信もあったんです。もちろん、日本語で歌詞を書くようになったのは、くるりの岸田繁さんに“なんで英語なん? 日本語で書いたら?”って言われたことがきっかけではあったんですけど(笑)、僕自身、そこに挑戦してみたい気持ちはずっとあった。その点でも今回のアルバムは大きなチャレンジに挑んだ作品なんですよね」(井上)

 メロウになったことも、ソウルフルになったことも、16ビートを積極的に取り入れたことも、日本語で表現するようになったことも、全ては地続きであり、一つのプレートの上で起こった同時多発的なマジックだった。そんな魔法がTurntable Filmsのこの『Small Town Talk』というアルバムにもたらしたものについて、井上は淡々とした表情でこう言う。「ブラック・ミュージックもポップ・ミュージックだし、カントリーもフォークもそうだし、そして僕らのやっていることももちろんそう。なんかもうそれでええやんって思うようになったんですよね」。

 ここは日本という小さな島国である。そして彼らが活動拠点としているのは、さらにその小さな島国の中の京都という盆地だ。そこで世界規模のポップ・ミュージックに触れて育ち、他者、あるいは自分自身とコミットしていく困難さ、もしくはそこから抜きん出ていくことのエネルギーの大きさにぶつかってきた彼らは、だからこそ、音楽に向き合うことの歓びも痛みも知っている。それでもやはりポップ・ミュージックについていこうとする彼ら。だが、もう恐れるものなどないだろう。彼らは今また大海原に漕ぎ出そうとする。でも、未来はきっと明るい。なぜなら、彼らがポップ・ミュージックの神様を必要としているように、神様もまた彼らを必要としているのだから。この『Small Town Talk』というアルバムの晴れやかな仕上がりが、それを証明しているではないか。

2015年9月/岡村詩野


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