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Dr.DOWNER
PROFILE

2002年か2003年頃にオレ、猪股ヨウスケと高橋ケイタと現チョモランマトマトのドラマー、大工原幹雄の三人で横須賀中心に活動していたとても態度の悪いバンドが解散し、同じ過ちを犯さぬようオレはすげえ良いヤツそうだった椎名ユウスケ(通称ナーシー)とそんな良いヤツじゃなさそうだったけど地元横須賀のライブハウスでいつも泥酔していた星野サトシを誘って2003年か2004年頃にドクターダウナー開始した。当時はオレはベースボーカルで星野はギター。
結成してすぐに「4ディメンションジェネレーション」っていう4曲入りのカセットテープを作ってライブで売ったらなんか割とすぐ売り切れた、オレも持ってない。欲しいので誰かください。
そしてオレ(Ba)、星野(Gu)、ナーシー(Dr)体制で一年間やって、二年目からドラムが現ドラマーの小石に変わった。まあ色々あった。オレ(Ba)、星野(Gu)、小石(Dr)体制でバンドの二年目が始まり、元々小石も10代の頃から地元のバンド仲間だったので三人で居酒屋に行く事が増え、あんまりライブやってなかったけどそれはそれで楽しかった。
そして三年目に高橋ケイタ通称けいちゃんからオレと一緒にやっていたバンドが解散した後入ったバンドが解散するって話を聞いてウチ入らない?って言ったら入ることになりそこからオレ(Ba)、星野(Gu)、ケイタ(Gu)、小石(Dr)体制が始まった。そのぐらいで「向こう側のレディオガール」ってミニアルバムを作った。これももうなくてオレも持ってない。誰かください。
そんでそのあとにディープアジカンファンなら名前知っていると思うけどキャラメルマンってバンドとドクターダウナー面、キャラメルマン面、って感じでA面とB面を分けた「Phantom of the Punk Rock」って名前のカセットテープを出した。これももうすぐ売り切れてオレも欲しい。
そんでひたすらライブやっていたかな〜。その間にオレはLINKというバンドでギターを弾いていて自分のバンドとは別の色々な世界を垣間みた。
そしてそのLINKを辞めたぐらいの時にENDZWECKっていうハードコアバンドのドラムのウチュウさんっていう人がやってるコズミックノートっていうレーベルから「スーサイドソルジャーマン26」っていうミニアルバムを出した。レコーディングした時オレは26歳だった。リリースしてツアーした時は27歳だった。
それを出した少し後に「Rockn'Roll難民」っていうカセットテープをまた出した。これはオレも持ってます。オレがベースボーカルの最後の音源になったし、多分そうなるだろうなと思って作った。
そして2010年からオレはベースボーカルからギターボーカルに変わった。ある日のスタジオでオレがいきなり、星野に今度からベースgやってくんねえ?って言ってオレと星野のパートが変わったんだけどまあ普通に色々やべえよな。今考えると暴君にも程があると思ったけど当時はバンドを持続させるにはどうしたら良いんだろうってクソ悩んだ結果がそれだった。
そして、オレ(Gu)、ケイタ(Gu)、星野(Ba)、小石(Dr)体制が始まった。この体制になった直後に作ったデモが「さよならティーンエイジ」だったんだけど、なりゆきでそれの歌録りとミックスがアジカンの後藤さんになって、オレの認識は地元の同じスタジオで練習していた年上のバンド仲間、星野と小石の大学の先輩、それが後藤さんだったんだけど、やはり影響力ものすげー!って思った実際。
そして我々ドクターダウナーはJロックの戦場に飛び込んで行きました。そこで「ライジング」ってアルバムと「幻想のマボロシ」ってアルバムを後藤Pで録った。そんでやっぱそのあとに「melancholy ondo.EP」というカセットテープを出しました。もはやカセットは定番です、定番にしたい。
そして2015年の秋頃に行われたバンド会議の結果、ギターの高橋ケイタが辞めると言ったので2016年4月からはオレ(Gu)、星野(Ba)、小石(Dr)体制でやることになった。この体制でまた戦場に戻ります。十年ぶりぐらいに三人に戻った。けど当時はオレベースボーカルだし星野ギターだし、どうなっちゃうのか分かんないけどそれが今のオレたちです、よろしく。


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