後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)─2013.9. 4─
the chef cooks meの新しいアルバム『回転体』が心の底から素晴らしい。
深い沼のような場所にハマって、本来音楽のために注ぐべき推進力を削がれている。俺が彼らに出会ったのは、そういう状態のときだったのではないかと思っていたのだけれど、この作品を聴いて思い返すに、彼らは沼の中に居たのではなくて、自力で沼を這い上がった後だったんだなと感じる。
足元はドロドロで、まだ少し靴の中は湿っていて、気分が晴れた様子ではなかったけれど、「とりあえず、替えの靴下は用意しておいたよ」と伝えることが、俺のプロデューサーとしての仕事だった(超キザな言い方だなぁ。笑)。新しい靴は彼らが自ら用意した。そして、最初の頃は乾いた平地を歩くのも久々といった雰囲気だったけれど、アルバムが完成する頃には堂々とした足取りになっていたのだった。
思い起こせば、彼らと出会うきっかけは大阪のFLAKE RECORDSで聴いたこの曲だった。
“Pasccal & Electus”
店先でひっくり返りそうになるくらい、良い曲だと思った。店主のDAWAさんに訊ねると、「レーベルとの契約がない」とのことだった。俺はアホか、と思った。それはバンドに対してではなくて、こんなに良いバンドに録音の機会を与えない数々の音楽レーベルに対してだった。それで、俺は彼らを自分のレーベルでサポートしたいと思ったのだった。
この自主音源にある、USインディロックを匂わせるDIY的な質感(ローファイとも言う)や疑似サイケデリックは本作『回転体』では影を潜めている。なぜならば、ここからバンドは大きくポップスという方向に舵を切ったからだ。多くの欧米や日本の良質なインディロックの質感、それはヒューマニティ=人間味ということだと俺は考えているのだけれど、彼らはそういうところを削がずに余計な装飾だけを脱ぎ、隅済みまでバンドのクオリティアップに成功している。インディロックファンを唸らせつつ、お茶の間までの射程を持った音楽を鳴らす希有なバンドになったのだ。
“適当な闇”
そして格段に良くなった歌詞。ソングライター・シモリョーの頭蓋骨を割り開け、その中で行われている演劇を観ているかのような、濃密な叙情詩。とてもエモーショナル。人間模様を歌ってはいるけれど、そこに具体的な景色がないというところが、彼の詩の特徴だと思う。『回転体』では、音楽や仲間たちや様々な感情、もっと言うならば己の「生」、そういうものをひっくるめて人生への愛情(負、を含む)のようなものを綴り鳴らしているのだけれど、それが僕らの日々を優しく肯定してくれているかのように響いてくる。
“環状線は僕らを乗せて”
この曲では作詞で参加させてもらった。シモリョーの歌詞は前述した通り脳内から出て行かないので、そこに具体性を与えることを意識して書いた。これは結果、アルバムに良い影響を与えたと俺は思っている。このアルバムの中で、俺が行った「良い仕事」の中のひとつ。笑。
ミュージシャンにとって、自分の作った音楽が世の中に出て行くことの喜びはとても大きなものだけれど、一方で、そこらに転がった石ころのように誰の気にも止まらずにいることは、とても苦しいことだ。
良いモノが世に出やすくもなり、また、埋もれやすくもなったけれど、そういう時代を貫いて鳴るべきアルバムだと思う。
緻密なコードワークも、エモーショナルな歌詞も、みずみずしいコーラスやエネルギーに満ちた管楽器の音も、ずっとずっと遠くまで届いて欲しい。
是非。
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