青野圭祐─2013.11. 9─
今年の年明けに平沢進さんの12枚めのオリジナル・フルアルバム『
現象の花の秘密 』のレコメンドをさせていただきましたが、その平沢さんが核P-MODELとして、実に9年ぶり、核P-MODELとしては2枚めとなる新作『гипноза (Gipnoza)』をリリースされました!
キリル文字で『гипноза』と表記する、今作のタイトルはカタカナで表記すると『ギプノーザ』。ロシア語で「催眠」という意味とのことです。今回はこの『гипноза』をレコメンドさせていただきます。
平沢…?核P-MODEL…?なんのこっちゃ?と、思われている方は、『
現象の花の秘密 』のレコメンドページで冒頭からやや冗長に平沢さんや核P-MODELの来歴の紹介を書いておりましたので、このレコメンドを読まれる前に、是非そちらをご覧いただけると幸いです。
平沢さんは、それぞれの活動においてアルバム単位で独自のストーリーを構築されていますが(このストーリーはインタラクティヴ・ライブで全貌が明らかになり、ライブのストーリーの軸になります)、核P-MODELとしての
公式サイトでの説明 では、
「不可思議な物質(あるいは生物?)「アシュオン」にまつわる大規模な人体実験として活動を続けたP-MODELは、その20年にも及ぶ実験レポートを既出「太陽系亞種音」の中に公開し、静かに「培養期」へと突入した。2004年のある日、P-MODELの再編成を待たずして異変は起こった。同じく「生物説」に基づき培養器の中で観察されていた「アシュオン」の、核とも呼べる中心部に突如生じた能動的活動パターン。執拗に繰り返されるパターンに「意志」をみたヒラサワは、その活動そのものを「核P-MODEL」と命名し、一人パターンの翻訳に没頭した。かくしてここに、核P-MODELの翻訳アーカイブ「VISTORON」は誕生した」
とされています。
相変わらず平沢さんの独特な言葉遣いで凡人の僕には一読しただけではすぐには意味が掴めませんが、簡単に言うと平沢さんがP-MODELの活動再開を待たずして、一人でソロではなく「P-MODEL的な」サウンド・スタイルに取り組んだ結果が核P-MODEL、ということでしょう。
「類似品にご注意ください!これはP-MODELの作品ではありません。核P-MODELの1stアルバムです!」
こんな断り書きをアナウンスに用いてリリースされた核P-MODELのデビューアルバム『ビストロン』は、平沢さんソロでは後退していた「テクノ」の感覚を存分に再び取り込んだ、いびつな電子音の洪水と言える過激なサウンドが印象的で、長いP-MODELでの活動の中でも特に最初期の『IN A MODEL ROOM』や『LANDSALE』で培った、加熱に加熱を重ねる社会を痛烈に皮肉ったアルバムでした。
その皮肉はイギリスの作家、ジョージ・オーウェルの名ディストピア小説(SF小説の一つのジャンルでユートピア=理想社会にみせかけて、その実は、徹底的に個人の思想や表現などあらゆる自由が管理された「暗黒卿」を指すものです)『1984年』の舞台となる全体主義国家、オセアニアの指導者でありながら、「テレスクリーン」や街宣ポスターなどの中でしか見られない存在、「ビッグ・ブラザー」をもじった2曲め「Big Brother」を筆頭に、やかましい広告やメディア、そして上流階級の人々の勝手な意向に管理され、いつしか人を人たらしめる在り方を壊してしまう現代社会の構造を批判したものでした。
早速少し余談になってしまいますが、これは以前のレコメンドでも書かせていただいたのですが、このジョージ・オーウェルの『1984年』、近年では村上春樹さんの作品『1Q84』のベースにもなった古典的なディストピア小説ですが、その全体主義によって一般市民の自由が統制された暗澹たる世界観は現在においても独特の社会批判としても機能するもので、個人的にはとてもオススメです!
『1984年』は、核P-MODELだけでなく、無印のP-MODELにおいても『IN A MODEL ROOM』は、後に平沢さんが著書『音楽産業廃棄物』(俗称:音廃本)の中で「『1984年』の世界観をコンセプトの下敷きとして制作された」と述懐されたほどで、その収録曲でも例えば「子供たちどうも」では、作中の重要なキーワードとなる「二重思考」という言葉が出てきたり、「サンシャイン・シティー」は当時日本一のビルを建てるという計画でサンシャインシティが建造されていた池袋が、過度に洗練されていく(「ソフィスティケイテッド」)のに抗して書かれた曲であったりと絶大な影響力を持っていますし、続く『LANDSALE』(「売国」と「ランドセル」のかけことばにしたタイトルがこれまたディストピアちっく!)でも、「ダイジョブ」では"話す言葉は管理されたし手紙を出せば取り上げられる"という歌い出しも『1984年』的で相変わらず「二重思考」という言葉が歌詞になっていたり、「「ラヴ」ストーリー」においての「ラヴ」の解釈は博愛的な「ラブ」では全くなく作中の「愛情省」(国の体制に反抗する人間を個人レベルまで追及して逮捕し、体制を「愛する」ように洗脳する)を思わせるもので、読んでもらえるとP-MODEL時代から連綿と続く平沢さんの世界観の一旦が伺えると思います。
今年になって、春には平沢さんのお兄さん、YOU1さん(YOU1さんはP-MODELの活動においても先の「子供たちどうも」「サンシャイン・シティー」で作詞を弟の進さんと共作されていたり、6枚めのアルバム『KARKADOR』のジャケットのアートワークを手がけられています)がニューウェーブカフェ「
GAZIO 」をつくば市で開店され、そのGAZIOのプレオープンイベントにおいて、平沢さんは核Pの新作をリリースすることを発表されました。夏には(もう公開期間が過ぎてしまい聴かれませんが)音声「平沢進から暑中見舞い」がサイトで公開され、そこでは、核Pとしての新作が好調であること、3.11によって「アシュオン」が破壊され、その培養炉の中から「見知った粒子」が表れたとアナウンスされました。
その後、Twitterにてその「見知った粒子」というのは、P-MODELのオリジナルメンバーにして、最初期のコンセプトを決定づけ、その世界観はもちろんサウンドを唯一無二のものにしていた平沢さんの盟友の中の盟友、田中靖美さんであり、彼が核Pの新作に参加することが告げられました。このアナウンスを見て、僕は思わず飛び上がってしまいました。
田中さんと言えば、先にも挙げたようにP-MODELの活動において、そのコンセプトからサウンドまで独自のアイデアを幾つも出してこられた最も重要なメンバーの一人ながら、83年にP-MODELから脱退されてから音楽家としての活動をやめられてアジア雑貨屋さんの店主になっていた方です。そんな田中さんが30年ぶりに核Pのゲストとして帰ってくる!?
もし、「核」P-MODELを名乗れるメンバーが、平沢さんのほかにいるとすれば、田中さんだろう!と強く思いました。
さて、そんな田中さんをも交えて制作された『гипноза』は、核Pの特徴である重厚な電子音の渦のようなサウンド、(ソロとしての)前作『現象の花の秘密』で培ったどこかでインチキくさい感覚、そして「3.11以降」に特に着目して、相変わらず痛烈な現代社会への皮肉が込められた世界観…とP-MODELでも平沢進ソロでもない、核P-MODELとしてのキャリアをさらに重厚に彩る傑作となりました。
さて相変わらず、冒頭から冗長に過ぎましたが、タイトルトラック「гипноза (Gipnoza)」の試聴動画をご覧ください。
チープなシンセとリズムボックスのような音に油断していると瞬時に核Pお得意のオリエンタル(まるで西洋の人が間違って「東洋」を見ているような)なメロディを奏でる暴れ狂ったシンセに耳を奪われます。「催眠」を表すタイトルのように、サビでは右モニタから奇妙なメロディとリズムで反復する小気味良いシンセの音色が表れ、トランス状態に陥りそうなくらいのギミックが聴かれます。そしてサビが終わるや否やここぞとばかりに暴れ狂うギター…片時も目、ではなく耳を離せないサウンドになっています。
残念ながら新曲で公開されているのは、この曲のみですが、他の曲でも、重たい電子音の渦とまるで催眠にかけられ、ここではない別のところにトランスして入っていく(ようでいて、その「催眠」を強いているのは、むしろ高度に成長した構造そのものであったり…)ような酩酊感のあるギミックが10曲、およそ38分のアルバムのあらゆる場面で表れています。
2曲め「それ行け!Halycon」は30年ぶりに表舞台に立たれた田中さんが参加された曲で、『IN A MODEL ROOM』や『LANDSALE』で聴くことのできる後に多くのテクノ・ニューウェーブのアーティストに影響を与えた、ピッという立ち上がりの早いピコピコなシンセの音色、通称「ミュージカル・ホッチキス」っぽい手法が何十年も経って再現されているかのようなギミックが施されたシンセが印象的で、まるで、デビュー当時の若きP-MODELの感覚を、今おじさんになった核のメンバーで改めて試みているかのようでとてつもなくクールです。
3曲め「排時光」や4曲め「白く巨大で」はイントロから、トランスに入った肉体を決して醒まさないような吸引力のあるイントロから頭がさらに催眠にかかっていきます。改訂P-MODELを思わせるアジアンな「Dμ34=不死」(5曲め)、ローテンポの裏で幾度となく不穏なシンセが鳴っている「Dr.древние (
(Dr.drevniye)」(6曲め)の重たい流れをはさみ、「Alarm」(8曲め)や「109号区の氾濫」(9曲め)で重苦しくも高揚感のあるサウンドで催眠から抜け出た先には、新たな名曲「Timelineの東」(10曲め)が待っています。
「Timelineの東」はTwitterなどのSNSのタイムライン(俗称:TL)やマイケル・クライトンの小説『タイムライン』を思わせますが、ここで鳴らされているのは際限ない成長という神話から目覚めて、その最中で捨て去っていったものを葬送しながら、その最果てであるここで、「キミ」が在る今を祝福するかのような("蓮の葉の雨粒ほどの宇宙にもキミの無限を見た"なんて言葉がでてくるくらい!)歓喜に満ちた曲で、過去の平沢さんソロの「白虎野の娘」(映画『パプリカ』のテーマソング)を思い出すような、軽快でいて清冽な祈りのポップソングのようになっています。
全体を俯瞰してみれば、のっけからトリップに誘う催眠のおかげで不穏で禍々しいほどのリアリティをもった明晰夢をみて、催眠からとけて目覚めて、何でもない、そのままの日々と初めて向き合い、そこで「キミ」と出会う(再開する)ことを祝福していく…という感覚があります。サウンド的には、アルバム序盤は、最初期のP-MODELや『ビストロン』がお好きな方に、中盤は改訂期のP-MODELがお好きな方に、終盤では改めて『ビストロン』や『白虎野』の頃のソロがお好きな方に特に響くものになっているかと思います。
個人的には、語弊を恐れず言えば、全くサウンドは違いますが、The Smashing Pumpkinsが重厚なテーマでグロテスクな世界をロマンチックな色に染め上げた3枚めのアルバム『Mellon Collie and the Infinite Sadness』から4枚めのニューウェーブのエッセンスを大々的に取り入れた4枚めの『Adore』に移行していった時の流れを思いだしました。どこか90年代っぽい感覚が、サウンドにも歌詞にも表れているのではないかと思います。
また今作はどの曲も、まるで『гипноза』という、一つのサイバーパンクSF小説の各章からとられたようなタイトルが見られます。平沢さんは、その活動において先の『1984年』や、他にも例えばP-MODELでの活動においても「時間等曲率漏斗館へようこそ」ではカート・ヴォネガットの名著『タイタンの妖女』の中のキーワードである「時間等曲率漏斗」という言葉が使われていたり、その「時間等〜」が収録されている9枚めアルバム『big body』はシオドア・スタージョンの名著『人間以上』をコンセプトにして制作されていたりと多くのSF作品にインスパイアされて制作されることが多かったのですが、今回の『гипноза』も、まるで「個人や集団がより大規模なネットワークに接続あるいは取り込まれた状況」において「社会や政治などを俯瞰的なメタ的な視点」が作品の軸となるサイバーパンク小説のような感覚を思わせます。「排時光」や「Dμ34=不死」、「109号区の氾濫」なんてパッと見ただけでもSF的なタイトルに思えます。
そんなSF的なトラックの中から、どの曲もインチキくさくも細部まで電子音に埋め尽くされた渦のような音世界と意味深な言葉の数々であなたをあらゆるものから解き放ち催眠に誘うアルバム『гипноза』、全力でプッシュさせていただきます。
そして催眠から醒めた時には、知り得た事も無意味に勝ち得た事も洗い、「キミ」のいる東へ…
平沢さんは、過去に9.11をうけて、ソロとして、「殺戮への抗議配信」として「高貴な城」と「Love Song (2003年バージョン)」を無料配信されたり、「蛮行と戦争の恐怖で制御される惑星、BLUE LIMBO」を舞台とするディストピア的な世界観とそこからなおも抵抗して歩き出すというメッセージ色の強いコンセプトアルバム、9枚めの『BLUE LIMBO』をリリースされたりと敏感に活動されていました。
今作より以前は、3.11をうけて、様々な国々をガイガーカウンター片手にまわり、各地での計測結果をTwitterでツイートされていたり、ある日いきなり謎の人物「ステルスマン」によって、P-MODEL時代の曲「BOAT」の音源を奪われ勝手に「原子力」としてリミックスされた音源を公開されたりとこれまた機敏に活動されていましたが、今作はフルアルバムとして震災に直面したことを表したストーリーが構築されていったことが感じられるもので、9.11をうけて制作された『BLUE LIMBO』と同様に、そのSF的な世界観によって悪しき構造を暴いて、糾弾しながら、最後に「今ここ」を祝福するために鳴らされているようです。
今作を引っさげて、平沢さんは来年1月に今年と同様にライブ「パラレル・コザック」を行われます。今年行われた「ノモノスとイミューム」と異なるのは、今回はインタラクティヴ・ライブではなく、ストーリーが一直線のライブとなっていることです。
『ビストロン』がリリースされた頃のライブ、「LIVE VISTRON」では、漆黒の扇子を持って、優雅に登場し、核Pの曲はもちろん、無印のP-MODELの曲も核P用にアレンジしてプレイされた平沢さん。今回はどんなライブをみせてくれるのでしょうか。
現時点では「ライブ出演は無理」と語っている田中さんは、本当に何十年かぶりに大ステージに立たれないのでしょうか。
アシュオンとそれの監査役P-MODELから、ますます目が離せません。
それでは、ご!(ごきげんよう!)
1